■18歳で服飾専門学校を中退し、それから2年ちょっと。…じゃなくて、20年ちょっと。早っ!<br>その間ワタシは、何らかの形でずっと働いている。「書くこと」が職業になったのは22歳。大手出版社で鍛えられてフリーランスになり、デザイン事務所や企業に席を設けてもらったこともある。その後、ある企業の仕事でそこそこの収入を得られるようになったものの、一方で「このままではアカン」という思いも強くなっていった。自宅が職場という生活が長くなったことで世間が狭くなったのも、「このままではアカン」と思うようになった理由のひとつ。38歳の時に小さな小さな事務所を構えて、「灰谷幸ライターズチーム・ハッピー」と名付けた。ハッピーは、自分の名前にちなんだもの。もちろん、自分や周りのヒトがハッピーになるようにという想いもあった。チームとしたのは、スタッフを1人採用しようと思ったから。「2人でチーム?」といった突っ込みはナシナシ(^_^)
■フリーランスでそれなりに忙しかったとはいえ2人分の仕事があったわけではないし、どう考えてもワタシには「お金儲けの才能」がない。社員を雇って一定額の給料を払っていく自信が無かったこともあって、とりあえずアルバイトを募集したところ、ライター志望という30歳前の女性が応募してくれた。誰もが知っている大企業で営業職に就いていた女性が、よく応募してくれたものだと、今になっても不思議に思う。一般常識もあるだろうし、大助かりだと思って即決。
■ライター志望で書くことが好きといえども、彼女は仕事として書いたことがない。当然ながらワタシには、「教える」という業務が発生した。
【今になって思えば!】
「自分がやる」のと「やり方を教える」のは、似て非なるもの。たった1人のスタッフを雇った段階で、ワタシがやるべき仕事は大きく変わり、プチ転職をしたようでした。職場で、後輩や部下ができたときも同じかもしれないですね。